ラカン 欲望

Add: amaty92 - Date: 2020-11-18 16:13:13 - Views: 1833 - Clicks: 3415

それも、ラカンが最初の論文を書く前に。 もちろん、欲望を否定する必要はない。というか、それを否定しきることは誰にもできない。だから大切なことは、欲望のしくみを理解した上で、ときには無欲を装って生きることだ。. 「欲望とは〈他者〉の欲望である」という有名な言葉がある。 これはフランスの精神分析家ジャック・ラカンの言葉である。「他者」という言葉に山括弧を付けているのは、それが元のフランス語において大文字(l’Autre)だからである。つまり、それは単に「他人」を指しているのではなく. 芸術は、ラカンの理論の中で頻繁に扱われます。精神分析においては、唯一の無意識の防衛メカニズムは、 昇華です。昇華を通じて、本能的な衝動は妥当な文化の産物になります。芸術、科学、すべての創造的な活動が、昇華の賜物です。 ラカンの言葉も彼の理論も、理解するのは難しいかもしれません。しかし、深い知識を与えてくれます。これらの謎を少しでも広めようとラカンの言葉をご紹介しました。しかし、もちろん、最も素晴らしい人間に対するアプローチのひとつであるラカンの考えはこれだけに留まりません。.

苦悩:喪失が存在しない時、これが生じるとラカンは言います。「小文字の他者」が関係しているのは、これにより現実が創造されるためです。 3. ラカンの「デカルトへの回帰」 3 の意義は、まさにこのような視座のもとでとらえられるべきである。 さて、うえで述べたように、ラカンは「心的因果性について」のなかで、デカルトの懐疑を臨床の問題としてとらえようとしていた。. More ラカン 欲望 videos. ─ラカンの「欲望の弁証法」とドゥルーズの「動的発生」 原 和之 : 25 夢と幻想の相違 ─エラ・シャープの夢分析症例のラカンによる再解釈: 諸岡 優鷹: 67 幻想 に公正であること: 春木 奈美子: 78. さすがのスラド民っちも、ラカンっちとは縁がないかなニャン。〇ビっちはインテリが大嫌いだが、このままではインテリに分類されてしまうニャン。 ラカンっちの「欲望」は相手を知りたいことニャン!というブログ記事を書いたニャン。前回のエントリは内容がかぶるから消したニャン. ジャック・ラカンにおける「部分的なもの」 ―ファルス、欲望、アガルマ、欲動― 桑原 旅人 要旨 Cet article traite une transition. ラカンにとっての愛は、言葉から生まれる絆のようなものです。言葉がなければ、恋に落ちるだけです。これはただの空想です。性的な欲求は、相手の人を欲求を満たすための対象に変えてしまいますが、愛はそれを超えます。愛は、相手をものではなく存在としてい見ています。 愛するためには、彼らの過ちも弱さも受け入れなくてはいけません。愛が「愛されたい」という単純な願望を超えるとき、能動的な贈り物となります。しかし、この愛にも限界はあり、これはラカンの言葉によって確立されています。「愛する者が度を越えて自分自身を裏切り、自分自身の欺瞞に耐えてしまうとき、その人への愛はもう続かない。」 そこに愛があるとき、人は相手の存在を愛します。その存在が自分自身を常にだましていても、愛し続けることは出来るでしょう。しかし、この裏切りが行き過ぎて、相手の存在自体がひずんでしまうと、この感情はなくなってしまいます。別の言葉で言えば、自分自身を裏切って、だますような人、あるいは好きになったその人ではなくなってしまったときに、その相手を愛すのをやめてしまいます。. 欲望の対象objet du désirといった表現を、実際ラカンはこれまで用いてきました。 この志向性の教えるところでは、なにかしらのものに向けて、ノエマ(ラカンはこれをpenséeとも言い換えています)が必ず存在するとなります。.

house deepさんからのリクエストでラカンの「欲望は他者の欲望である」について喋りました。お待たせしました。ラカン興味ある方はぜひ以下の. 「小文字の他者」に、ラカンは様々な名前を付けました。例えば、extimo、libra de carne、愚かさ、苦悩のアレフ、不快などです。これらの名前を使い、ラカンは、この理論やその他の持論を説明づけしようとしたのです。「小文字の他者」に関連する概念には、次のようなものがあげられます。 1. ラカンの言った言葉でいちばん良く引用されるのが「欲望は他人の欲望である」というものだろう。 そう、ラカンは欲望が僕たちの内面にあらかじめ備わっているわけじゃなく、常に他人から与えられるものだ、ということを強調したのだ。. まず、右下の(失われた)「主体」から出発し、左下の「自我理想」に同一化するまでの大きな流れがある。右側の「主体」から「理想自我」を経由して登っていくベクトルが「想像的同一化」、左側の「自我理想」へと下っていくベクトルが「象徴的同一化」と区分される。ここの説明にジジェクの言葉を引用したい。 この想像的同一化/象徴的同一化とは、そのまま理想自我/自我理想の概念と重なるものである。よって、「理想自我」の i(a) が(欲望の対象であり原因)のイメージ(i)、「自我理想」の I(A) は(A)の特徴(I)として、マテームが割り当てられる理由がわかると思う。. ラカンの人間の欲望は他者の欲望であるという意味をわかりやすく説明してください。 欲望と聞くと、何か人間の精神の奥底から沸きあがってくるようなもの、というイメージがあるでしょう。多くの人が漠然とそう感じてるんじゃないかな。本能と呼ばれるようなものとか、フロイトのいう. 人の欲望とは、他人に自分の欲望を認めさせたいという欲望である。 発言者:ジャック・ラカン(フランスの精神科医・精神分析学者・哲学者) ジャック・ラカンさんってどんな人? フランスの哲学者、精神科医、精神分析家。 私の説明. ジャックラカンの、「人間の欲望は他者の欲望である」の意味について、、、この言葉、私に何か例でも挙げてわかりやすく説明していただけないでしょうか? 欲望って、自分の意思とは違うものだし、そもそも自分でコントロールできないじゃん。なんか知らんけど、いきなりわき上がって.

ジャック・ラカン『精神分析の四基本概念』 遅ればせながら、本家登場。国際精神分析協会から「破門」されたという宣言から始まる、熱い語り口の講義録で、後期の重要な概念(無意識、反復、転移、欲動)が書かれている。 いろんなラカン本を読んだ後、本書を手に取ったが、まずテキストの平明さに驚いた。詩的な表現もあり、芸術の領域からの引用も多い。受講生として参加しているミレールが質問してる様子も、妙に臨場感がある。そしてその読み言葉からは、ラカンの人間性を感じ取ることができる。 これより難しく書かれたラカン本はたくさんあるわけだし、もっと早く読んでおけばよかったと少し後悔した。『エクリ』とまだ全部まとめられていないものを含め27部ある『セミネール』、加えて大量のラカン本があり、それらすべての情報を圧縮し「わかりやすく」したのが入門書であるから、なるほど逆に「わかりにくく」なることがあるわけだ。 また入門書は「セミネール」から引用されることが多いので、ネタ感の強さが気になった。フロイトとマダム・Oの症例、荘子「胡蝶の夢」のパラドックスの話などは、ジェームス・ブラウンにおける”Funky Drummer”や”The Payback”のように使い回されているネタである。また定番のサンプリングネタ以外のJBの楽曲にもいろんなアイデアが詰まっているように、ラカンの他のテキストもおもしろい。これが27部あるのだから、まるで70年代のJBの(The J. 忠誠とは、永遠のテーマです。このテーマに言及しているジャック・ラカンの言葉の中で、まさにうまく表現しているものがあります。「誓った言葉以上に、忠誠を正当化できるものはない。しかし、何度も誓った言葉は、軽々しく賭けられる。相手がもしそのように主張しないなら、おそらくほとんど本当に約束したことはないだろう。」 カップルは、忠誠は恋愛関係において自然であると思い込んではいけません。あるいは、本当にそれを遂行する可能性を分析していないのであれば、忠誠を誓うような言葉は口にすべきではありません。. ラカンの技法としてもっとも目を引くのが短時間セッションです。これは精神分析の一回のセッションの時間を短くするというものです。この技法によってラカンは主体を尊重できるという主張をしており、IPA(国際精神分析学会)からの要請にも関わらず、この技法を捨てることはありませんでした。このためにラカンは訓練分析家になることができなかったようです。 短時間セッションについては、ラカン理論の背景から読み解けば、確かにそこに大変意味のあるものと思われます。特に時間を区切るということが解釈としての機能を果たすということはうなづけるところもあります。しかし、反面では、解釈というのはそれをすること自体も重要ですが、解釈後のクライエントのレスポンスを見ることも重要となってきます。カウンセラーの解釈を肯定するのか、否定するのか、無視するのか、連想が変わるのか、連想が変わらないのか、そういうところからさらに分析を進めていく素材が浮き上がってくるのです。時間を区切るということはその区切った後のクライエントのレスポンスを扱うことが難しくなってしまうというデメリットは無視できないものでしょう。ちなみに、短時間セッションはラカン以外のラカン派精神分析家は使用していなかったようです。. ラカンはフランスの精神分析学者で、精神分析学に革新的な要素を取り入れた人物です。医学を学び、後に精神科を専門としました。そして1938年、精神分析学者には欠かせない過程である分析を始めます。 ラカンは最初の論文、虚像段階論で最も有名です。これを含めたその他の研究で、ラカンの理論はフロイトに由来しているということにラカンは自分で気づいていました。そして、彼は次の学問の要素も少しずつ取り入れていきます。 1. 数学 一方で、ラカンは芸術にも大変興味を持っていました。そして当時親交が深かった仲間には、ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ、パブロ・ピカソ、アンドレ・ブルトンがいます。さらに、超現実主義に興味を持ち、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の朗読会に出席したり、ハイデッガーやヘーゲルの作品を好みました。 当時、ラカンの精神分析学に対するアプローチは、芸術、無意識、虚の関係について新たな視点をもたらしました。それは何より、ラカンがポスト・フロイトはフロイトの研究を解釈し間違えていると考えていたためです。そのため、新たな観点を用い、応用し、概念を広げようとしたのです。 彼はこの問題をとても重要視していたので、自分の意見を国際精神分析協会に送り、これに入会することになりました。しかし後に、ラカンはフランス精神分析学協会を立ち上げ、パリで自ら学派を作りました。. 、ということだ。ラカンの考える精神分析の倫理は、したがって、 欲望という試練に身をさらすことを主体に課す命法というかたちをとる。このことを確認するた めに、まず『倫理』における有名な一節をみてみよう。.

「シニフィアン連鎖」のベクトルに沿って見ていくと、最初に出会う点に、のシニフィエの関数を示すマテーム s(A) がある。これは『エクリ』において「『意味作用』が完成し構成される点」と説明されているものである。そしてこの先もさらにシニフィアンは連鎖していき、「主体」から上方向へ延びてきたベクトルに縫い付けられた点、「クッションの綴じ目」に到達する。ここで先ほどの「意味作用」は縫い付けられて固定され、シニフィアンが主体化された結果として、が出現する。その先では意味を失ったシニフィアン、つまり「声」という「残滓」が虚しく響いている。 また「理想自我」と呼ばれる想像的の i(a) と想像的「自我」(m)を結ぶ軸は、「理想自我」の中に自己同一性を見出す、あの「鏡像段階」における関係を示しているのが発見できるだろう。 つまりこの「意味」のレベルとは、「シニフィアン」と「ディスクール」の関係であり、ここにはわれわれが「理解できる欲望」が渦巻いている。. 続いて、何かと批判の多いラカンのトポロジーに関する書籍と、ラカンを語る上で避けることのできないソーカル事件について。 ジャンヌ・グラノン=ラフォン 『ラカンのトポロジー – 精神分析空間の位相構造』 ラカンの理論の複雑さは、概念やその装置の関係性が「ひねくれている」、つまりトロポジカルであることに起因している。それを数式によって説明しようとして、より難解なものになっていくこともある。そこでやっかいな数式を一切排除し、徹底的にトポロジーの構造だけを読み解いて行こうというのが、本書の試みである。 ラカンは理論を説明するのにトポロジーを使ったが、ここではトポロジーの構造を理解するのにラカンの理論が使われる。この「トポロジストによるラカン」とも言えそうなコンセプトが、この本の特異性であり、おもしろいところである。 例えば、「メビウスの帯」のトポロジーは「二重の輪」でありシニフィアン/シニフィエの関係を(ジジェクによると、これはあくまでもソシュールの解釈であるが)、「クロスキャップ」は「内なる8の字」でありシェーマRを、「クラインの壷」は理想自我との関係を、「ボロメオの結び目」は現実界/象徴界/想像界の関係を使って説明できる。 巻末には親切にトポロジーの「基礎となる定義」も付いており、決して発想がおもしろいだけの珍品では終わっていない。 しかし、このようなラカンのトポロジーや数式の乱用がいかにも疑似科学的であるという批判は多い。その最たる例がソーカル事件である。 アラン・ソーカル、ジャン・ブリクモン 『「知」の欺瞞 – ポストモダン思想における科学の濫用』 ラカン批判の代表的な著作というと、ドゥルーズ=ガタリの『アンチ・オイディプス』を思い出すかも知れない。しかしこちらは主に精神分析における密室性と家族主義に対する批判であり、ラカンではなくラカニアン批判とも捉えることができるだろう。またかなり早い時期に日本にラカンを紹介した浅田彰『構造と力』では、『アンチ・オイディプス』を「ラカンを自分たちの体系に組み込んで、正しく読んだ」と評価している。 それに対し、ソーカル事件とその直後に出版された本書は、構造主義/ポスト構造主義を攻撃することを目論んでいる。そして結果的に、ソーカル以前/以後という断絶を作ってしまうほど、思想界にインパクトを与えた。本書において、ラカンは. ラカン 欲望 欠如/不足:「小文字の他者」は、人に本当に足りていないものを明らかにしてくれるようなものです。人生に不足しているものを教えてくれるある種の窓のようなものなのです。 4.

ジャック・ラカンの言葉は、読み手が簡単に理解できるようには考えてられていません。その為、多くは複雑でつけ入る隙がありません。言葉通りの分析に意味はなく、他の意味をほのめかしています。 「私たちが冒した唯一の罪は、自分の欲望に関する権利を諦めたことだ」。これは、様々な意味に解釈されているラカンの言葉のひとつです。この言葉を理解するためには、ラカンにとっては、コインのひとつの面は過ちで、反対側は責任であるということに言及しておきます。責めることとは「超自我」の非難、あるいは、責任の非理性的な意識です。責任とは、対象の本当の欲求を意識することです。 それ故に、この言葉は、欲求に対する意識がなければ、罪は常に現れるということを意味しています。自分が本当に求めるものを意識することは、責任のある行いです。自分の欲求に責任が持てたら、罪の意識はなくなります。. 52 minutes ラカン 欲望 ago · 記号論はソシュールのが有名ですが、ラカンのサントームははるかに強力なのです。ラカンはだましで書くからだれも知らないが、犬っちが理解して整備したのです。そのサントームを使ってゲーテ『ファウスト』を解き明かしたのです。なんというか隠喩のテクストの理解につとめながらオ〇. ラカンは「人の欲望は他者の欲望である」という。 例えば、なぜ皆がショウケースの中で光り輝くダイヤモンドを欲しいのかといえば、それを皆が欲しがっているからであり、なぜ誰もその辺に転がっている路傍の石を欲しくないのかといえば、それを誰も.

See full list on ラカン 欲望 kokoronotanken. ジャック・ラカンは次のように言っています。「人は、相手が持っているものが理由ではなく、相手が欠いているものが理由で、誰かを愛することができます。」愛は、相手の全体的な存在に向けられます。その特性です。すべてということは、賭けていることも含みます。その「一部」だけを愛すのではありません。この感情は、相手の存在全体で感じられるものです。 このラカンの言葉の中のキーワードは、「文字通り」です。原理としては、これはジェンダーの性別的違いをさしています。男性は、女性が肉体的に欠いているもの、男性器を持っています。しかし、男性は女性が持っているものを持ちません。子どもをはらむ能力です。 つまり、相手の欠けているものこそ、文字通り愛されるべきものなのです。女性には男性器がないため、男性は女性を愛します。女性は、自分が持っているものを男性が欠いているために、男性を愛します。この説明は、象徴的な解釈です。. 先ほどのソーカルらの引用は、ラカンが「神学」的であることに対する批判であり、後年のラカンによる「宗教と精神分析のどちらが勝つか」といった言葉から連想されたものだろう。ラカン自身も「比喩表現は足場であって、足場と建物を混同することさえしなければ理解にとって有効である」と弁解しているが、これも有効な反論とは言えなさそうである。 われわれにできることは、ソーカル事件に影響された反ラカン主義に対する批判ではなく、ラカンの読み方をソーカル事件以降に、つまり「非神学」としてアップデートすることではないかと思う。そして現在のところ、『夜戦と永遠』がそれに相当する。 佐々木中『夜戦と永遠』 ラカンがむずかしいのは「機能」であるとし、ラカンにおける「不均質性」「混成性」を確認しながら、いたるところにある理論の「ほころび」を浮き掘りにする。他のラカン本ではまず見かけることのない、うろたえるラカン、言い換えるラカン、間違えを認めるラカンを、次々と引いていく。 そして「74-75年ヴァージョン」のボロメオの結び目を取り出し、想像界から象徴界を通過して現実界へと、3つの輪を横断していく。わざわざ「74-75年ヴァージョン」としているのは、この有名なボロメオの結び目でさえも、初出した73年から1年も経たないうちに何度も書き換えられているからである。 ソーカルが指摘するまでもなく、ラカン理論とは、フロイトを読み、ヘーゲルを読み、ソシュールを読み、ラカンの手によってテキストを書き換え、ラカン自身が何度も間違いを認め、ヴァージョンアップさせていった「つぎはぎ」だらけの理論である。そしてそのテキストはドゥルーズに読まれ、フーコーに読まれ、デリダに読まれ、また書き換えられていく。そしてドゥルーズが読まれ、フーコーが読まれ・・・と、ヴァージョンアップは永遠に繰り返されるだろう。 そして筆者はついに、現実界と想像界が交差する「の享楽」=「女性の享楽」において、ラカン理論最大の破綻を発見する。しかしそれは同時に、ラカンの思想においてもっとも重要な地点であると指摘する。 原父であるオイディプスが愛した「すべての女性」ではない女性、つまり「すべてではない女性」という概念を突きつけ、「(すべての)女性は存在しない」というラカンのテーゼを、「『性関係はある』、『すべてではない女性』においては。」と書き換. Le phallus dirige le ラカン 欲望 sujet. Amazonで佐伯 啓思の貨幣と欲望: 資本主義の精神解剖学 (ちくま学芸文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。佐伯 啓思作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. See full list on s-office-k. ラカンの人生はかなり紆余曲折があり、対立と同盟が繰り返されていたようでした。また、その難解な語りが災いしてか、誤解や偏見によって迫害されていたところもあるようです。ラカンは教育分析や個人分析、スーパービジョンを通して多くの弟子を育て、自分の理論の実践の場としていくつかの団体を結成しました。しかし、その弟子にさえ、その理論の根本を理解されることなく、言われなき分裂や決別、失望、失敗を体験しました。パリ・フロイト派の解散はラカンにとってはかなり大きな痛手であったようです。 フロイトが「分析技法における構成の仕事(1937)」で弟子たちがフロイト理論を正しく継承していなかったことを嘆いていたのと同様に、ラカンもラカン理論が正しく伝えられなかったことを嘆いていたのかもしれません。特にパスという資格制度についてはラカンの理想や理念が織り込められたものであったのでしょうが、最終的には「失敗だった」と言わざるを得なくなり、自らパリ・フロイト派を解散させねばならなくなってしまいました。 ここにラカンがラカンであったがゆえの悲しみが付されているように思います。.

. ’s名義なども含めた)アーカイブに接しているような気分である。 ジャック・ラカン『エクリ 1』 『エクリ』の内容も、言われているほど難解ではない。日本でラカンがポピュラーじゃなかった時代に訳されたものなので、どう扱うべきか定まっていなかったり、文体が古すぎたりするのが、読みにくい要因だろう。 さすがに『エクリ』は(ブルース・フィンクの?)新訳を待った方が良さそうだが、『セミネール」は気になるテーマのものを引っ張り出して読むことができると思う。 というわけで、以上3回に渡る「ラカン理論のインストール手順」はここまで。 入門書を中心にいろいろと列挙してきたが、繰り返し言うと、これらはあくまで一例にすぎない。また図解のほとんどは、いろんなラカン本を参照しながら「つぎはぎ」で作成したものである。読んで入門にならないと判断したものは外してるし、読. Amazonで向井 雅明のラカン入門 (ちくま学芸文庫)。アマゾンならポイント還元本が多数。向井 雅明作品ほか、お急ぎ便対象商品は当日お届けも可能。. . ラカンの言葉のひとつにこんなものがあります。「これは『真実』ではないため、私があなたに与えるものを拒否してほしい」。これは、精神分析学者とその患者の関係を主に指しています。ラカンは自分の患者を「患者」とは呼ばず、「被分析者」と呼んでいました。精神分析を受ける側の人間であるからです。 この言葉は、心理分析学者の倫理的な立場に関連しています。彼らの立場は、被分析者が与えるものを拒否することです。 これは、精神分析の過程をほのめかし、倫理的な基盤として構成する、ジャック・ラカンの言葉のひとつです。.

ラカンが「人間の欲望はその意味を他者の欲望のうちに見出す。 」とか、「人間の欲望が形作られるのは他者の欲望としてである。 」とか言ったことが、彼の時代より、今の時代にはっきり現象として現れてきているように思えるのです。. ラカン理論の他者の欲望や対象aという概念はフロイトのテクストから抽出したラカン独自のものです。これらの概念から転移や精神分析における精神分析家とクライエントの間における関係性の変化を理解していくことができます。また、それに留まらず、精神分析を超えて、人間存在を規定するもの、人間のありようを証明するものとして、哲学的・思想的な価値を有するものであると考えられます。その傾向が強いがゆえに、臨床的にこれがどのように活用されるのか、クライエント理解にどうつなげられるのか、といったことが削り取られてしまっており、臨床的有用性の観点から少し物足りなく感じてしまうところもあります。 精神分析は臨床の中から生まれ、臨床の中で活用されるものです。しかし、ラカン理論は臨床の中で活用されるというよりも、思索的に活用されることが多いようです。ラカン理論を研究している人は、臨床家よりも哲学者や思想家、文化人に多いようです。精神分析臨床をしている人は自我心理学-クライン派-独立学派-コフート派-対人関係論学派を基盤にしている人が多いのではないでしょうか。こういう風になっているのも色々な歴史的経緯が関係していることが考えられます。 ラカンの独特な考えや思想、技法はIPAの考えとはかなり異なっており、IPAからは破門に近い形でラカンは追放されています。IPAに属さないということは、精神分析家や訓練分析家となることができず、臨床指導ができないということになります。ラカンはその代わり、教育機関において臨床家対象ではなく、哲学者や思想家、文化人を対象としたセミナールを開講しています。対象がそうした文化人であったために、臨床というよりは思想的な観点が強調されていったのではないかと思われます。ラカンは臨床実践を軽視するなと言ったり、パリ・フロイト派を立ち上げたり、といった活動はしていたようですが。こういうところから、ラカンが臨床家ではなく、非臨床家を中心に思想が展開して行ったのではないかと想像します。. 喜び:「小文字の他者」は、喜びの機能や欲求の原因との関わりの中にあります。そして、「人はどのように喜びを得るか」という質問に答えを出します。私達は、欲求を満たすことにより、喜びを得るのです。これは快楽ですが、一方で苦しみも混じっています。これは快楽の原則を越えて生じるものなのです。 2. ジャック・ラカンは、言語の理論に大きな影響を受けています。これは、20世紀に大流行した理論です。ラカンは、フロイトの従来的な精神分析論に、純粋に言語学の概念を組み込んでいます。これらの概念の中で最も重要なものを見てみましょう。「無意識の構造は、言語に似ている」。 ラカンにとって、無意識は、言語のように機能します。つまり、それを知り理解するための手引きは、言語の解読のために使われるものと類似しているということです。例えば、夢は比喩や換喩として解釈されるべきです。.

他者への同一化の意味は、人間は、他の人が好きなものを好きになり、他の人がしていることをしたく.

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